五味秀雄
生まれた年 1944
所沢
13 記憶
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風渡13「心躍るお正月準備」
語り手 五味秀雄 | 投稿 5018 日前
正月の準備は子供たちにとって、せわしないが、心躍る楽しい作業であった。一年間のすす払いと大掃除が終わると、いよいよ正月の飾り付けやお供え物の...
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風渡12「流れの芸術家を支えた父」
語り手 五味秀雄 | 投稿 5018 日前
部落へは流れの芸術家、彫刻家と絵師が時々やってきた。この部落に来る芸術家はこの部落に入る前に当時顔役であった私の父、吉雄をまず訪ねてくる。酒...
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風渡11「御射山祭」
語り手 五味秀雄 | 投稿 5018 日前
諏訪大社上社の御射山祭は、この祭りが御射山社がある通称「原山」一帯で行われたことから原山様ともいわれている。かつてこの祭りは旧暦の7月26日...
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風渡10「叔父の蔵書で文学と出会う」
語り手 五味秀雄 | 投稿 5018 日前
農家の長男に生まれながら、医者になることを志した父の兄、五味勝は諏訪中学から東北帝大の医学部を出て、仙台で開業した。恩師の娘を妻に貰い受け、...
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風渡9「祖父、五味友十郎と仁の心」
語り手 五味秀雄 | 投稿 5019 日前
田舎の土蔵の中は子供たちにとって宝の山だ。薄暗くて、独特のにおいに包まれた土蔵は、ちょっと怖いが、新しい発見の誘惑に勝てない場所であった。親...
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風渡8「48歳で逝った母」
語り手 五味秀雄 | 投稿 5019 日前
私の母、金子は48歳の若さで脳溢血のため亡くなった。1955年(昭和30年)10月16日、私が小学校5年生、11歳の時のことであった。秋、つ...
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風渡7「鍛えられた炎天下の草取り」
語り手 五味秀雄 | 投稿 4791 日前
1町歩(3000坪)の畑は小学校に入ったばかりの子供にとっては途方もない広さであった。夏、炎天下での農作業、特に草取りほど辛いものはない。八...
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風渡6「優れた縄文文化が栄えた地」
語り手 五味秀雄 | 投稿 5018 日前
根雪が消え、風が吹く春先の季節は、畑で矢じりや土器のかけら、石器などを拾うのに絶好の季節だ。矢じりや土器のかけらはたくさんの小石とともに霜柱...
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風渡5「楽しく厳しい冬の暮らし」
語り手 五味秀雄 | 投稿 5018 日前
雪が少ない裾野の村は、いつも乾燥していて気温が低く、30センチも積雪があると根雪になった。昼間、太陽に照らされ表面が溶けだした雪は、夜の寒気...
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風渡4「風とすすき」
語り手 五味秀雄 | 投稿 5018 日前
夏の終わりは、突然やってくる。お盆が過ぎると、それまでの紫外線の強い、身の置き場もないような炎天の陽は、嘘のようになくなってしまう。川の水温...
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