Yoko Kaneko

 
Yoko Kaneko
殿堂入り
シーカーデビュー 2013/08/18
記憶の数: 70
テーマの数: 1
記憶の語り手の数: 14
写真: 5
スコア: 729

メモリーシーカー

MEMORO「記憶の銀行」のコンセプトに賛同し、日本での立ち上げの時期からから参画しています。
2014年夏からは、飛騨高山MEMORO「記憶の銀行」プロジェクトをプロジェクトリーダーでとして始めました。現在、2ケ月に1度程度、飛騨高山の語り手の方々の貴重な「記憶」を記録しています。
4.0 分
農林課に配属された時、日本の農政は大きな転換期を迎えていた。桑畑などを大規模な水田に変えるという農地造成を進めていたにもかかわらず、国の方針...
再生回数 4782 回
2.0 分
飛騨高山には祝いの席で「めでた」という祝い唄を謡う風習がある。米を作ってはいけなくなるほど世の中が変わったので、きっと「めだた」も消えてしま...
再生回数 4870 回
1.4 分
丹生川村役場で最初に配属されたのは診療所だった。当時、結核が流行っており、学校を建てるより診療所を建てる方が優先だった。事務ではなく、用務係...
再生回数 5063 回
1.3 分
中学を卒業した年、15歳で丹生川村役場に就職した。同級生80名のうち、高校に進学したのは1割の8名程で、あとは皆就職した。
再生回数 5325 回
1.2 分
7人兄弟の次男に生まれ、子供のころはいつも母の手伝いをしていた。茶碗洗いから掃除から、おしめ替えから全部したが、苦労とは思わなかっつた。身体...
再生回数 4954 回
3.1 分
第2子の出産の後、舅が病気になりしばらく介護をしていたが、舅の死後、友人からの紹介で丹生川村役場に就職した。
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