子どもの頃の戦争の思い出 (4)

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昭和18年になると、宇都宮上空にも敵機が飛ぶようになりました。大人も子どもも農作業や勉強どころではなく空襲に備えました。 昭和19年に松本文子は女学校に入ります。その時次男の兄はすでに兵隊となって北支へ派遣されていました。長男の兄は徴用令により軍事工場で働いていました。三男の兄は出征待ちでした。四男の兄は中学生で軍事工場で働いていました。当時は4年生になると勉強はせずに軍事工場に行くのが普通でした。松本文子の女学校でも校舎をひとつ軍事工場にして、上級生(4・5年生)はそこで毎日軍事品を作っていました。 昭和20年には東京で大空襲あり、罹災者がたくさん親戚を頼って田舎にやってきました。食糧不足はますます深刻になりました。
(撮影 2010年3月9日)
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