永井正彦

 
永井正彦

生まれた年 1933
横浜市

10 記憶

1.7 分
奥様との出会いは飛行場のカーゴ修理を行いに行った時でした。 当時奥様はキャビンアテンダントをなさっていました。 アプローチをしたのは永井さん...
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2.6 分
若いころは酒がなかったので濁酒(どぶろく)を飲んでいた。 学生時代には薬屋から買ってきた純度の高いアルコールも飲んでいた。 学生当時は、飲み...
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3.3 分
永井さんはいろいろと商売を行いました。 お風呂屋さんの前で暖かい甘酒を販売、そこで得た甘酒販売の知恵があります。一壺の甘酒から3種類の甘酒を...
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6.2 分
古河電池に努めていたことからバッテリー(電池)を売るようになった。 売るための電池は港に持って行って、漁師の魚と交換をした。この頃はお金が無い...
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3.8 分
戦時中は陸軍の大人達から軍隊教育を受けていた、終戦後は軍人たちはみんな逃げてしまい、居なくなってしまった。 戦時中は軍隊教令をしていた校長先...
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2.9 分
終戦当日まで日本の敗戦は信じていなかった。戦争の末期(中学生当時)になるとB29が襲来して来て、町内の男たちはB29に対抗するために竹やりを...
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2.6 分
お寺では自分達の衣服は、自分達自身で整理するという約束になっていた。 洗濯、炊事なども自分達で行っていた。これらの事は戦争に勝つまでは皆で苦...
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1.3 分
疎開当時の先生は軍人さんであったが、その人と女性の先生の恋の話です。
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3.1 分
食べるものが無く、空腹を紛らすために虱をとってマッチ箱の中で戦わせて遊んでいた。 疎開中の食べ物は皆自分たちで作っていました。大きな鍋で農家...
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3.3 分
永井さんは小学校の頃に集団疎開をしましたが、疎開先はお寺さんでした。 当時疎開先に親戚などがいる場合は親戚の家へ疎開したが、知り合いがいない...
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