疎開先から帰京した少年時代の話

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1945年10月、無残な焼け野原となった東京へ帰ってきました。あたりを走り回る米軍のジープと、自宅のあった池袋に墜落したB29の残骸が脳裏に焼き付いています。
 13才の自分が家族の暮らしを支えるためにできたのは、壊れた水道管の鉛を集めて売ることくらいでした。年上の兄たちは朝霞の駐留米軍などで日雇いの仕事をしたり、ヤミ市でトンカツを売ったりして私の進学を支えてくれました。自分の世代は学齢期と戦争・戦後の混乱が重なってしまったため、結局ほとんど勉強というものができなかったのですが、新制高校を卒業することができたのは兄たちのおかげです。
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